「生きているだけでお金がかかる」という無機質な重圧

エッセイ
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4連休、数々の人たちが、地元を飛び立った。
おかげさまで羽田や各地が盛況となる中、今のところ私たちは当面待機である。

もちろんその理由は新型コロナウィルス感染症(COVID-19)対策。
病院で実習をしている私たち、そこから万が一患者さんにでも感染が拡大したら大変だ。
ましてや、某国立大学の医学部で発生したクラスターでは、各々の人間関係や接触状況などが赤裸々にメディアに垂れ流されるという悍ましい出来事さえ生じたのだ。
別に大学から、教員から、誰からも言われなくたって、いやというほどわかっている

今までの自分であれば、4連休もあれば喜んで日本のどこかに飛び立っていた。でも、昨今の情勢のため、プライベートで飛行機に最後に乗ったのは、はや6ヶ月前ということになる。
お酒と飛行機ぐらいにしか出費がなかった人間としては、ひたすらお金をかけるところがなくなってしまったとも言える。

出費がなくなったのであれば、ひたすらお金が貯まっていくのでは…?


なんて甘い考えを持っていたら残念ながらそれは甘い。
年俸契約の正規雇用社会人とは異なり、学生のバイトは基本的に時給制か歩合制。
つまり、コロナの影響で行動が制限されるということは、収入が減少するということを意味する。

もちろん、在宅でできない仕事がないわけではない。
以前紹介したとおり、私もネット記事を書いたり、大学内のバイトをしたりしながら収入確保に努めてきた。
とはいえ、以前ちゃんと現場に行きながらバイトができていた頃と比べれば、やはり収入は落ちてしまう。

つまり、支出と収入がどちらとも落ちてしまう
以前と比べていえば、支出も収入も減ったことで、より少ない金額でのやりくりを強いられるというだけの話である。

それならばプラマイゼロでそんなに変わりもないやろ〜と思われるかもしれないが、意外とそうでもないのが世の中である。

支出と収入だけで話が進めばそのとおりなのだが、どうしても動かすお金の規模が小さくなってくると、どんどん些細なお金の出入りに対しても神経が向かっていくのだ。

例えば、日々の水道代。
シャワーを浴びる前、ちょっと冷たいからってお湯が出るまで少し垂れ流していたあのお水。1ヶ月間続けていたらどれくらいの無駄だろう…?なんて発想になってくる。
あるいは、家で勉強にも仕事にも欠かせないパソコン。この電気代、どこかで浮かせられないかな…?そんなところに頭が向かっていく。

それを色々と考え詰めていったところ、以前記事にしたとおり、いろいろな節約方法を編みだすことができたのだが、逆に一度成功してしまうと、もうそのような発想から離れられなくなってしまったのが辛いところ。
そうなってくると、自分がしていること1つ1つ、全てが無駄なのではないか…?と思えてしまい、どんどんと自己嫌悪に陥っていくのである。

何を大げさな…
と思われるかもしれないが、意外とこれが深刻で、自分がする事なす事、全てがお金換算で頭が働くようになってしまうのだ。

そう考えると、1つ気づくことがある。

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自分がやっていること、お金がかからないことなんて1つもないのだ。

どれだけお金をかけずに生きようと頑張っても、どこかしらでお金がかかっている

例えば、外に遊びに行かないで家にいようと思うと、家の電気代や水道代がかかってくる。お水も電気も使わないと百歩譲ってするとしても、家にいながら場所を占拠しているだけでその場所は汚れ、摩耗していく。

じゃあいっそ外で運動してきたら?と考えれば、そのためにわざわざ着替えたりしようものなら、そのための衣料の費用や、その余分な洗濯のための電気代や水道代がかかってくることになる。着替えるほど汗をかかないにしても、水分補給は大事だし、運動したりすれば履いた靴は徐々に摩耗してくる。

私も靴はかなり大事に履く人間だと思うのだが、どうしても穴が空いてしまってはその靴を履き続けるわけには行かず、新しい靴を買わざるを得ない。

地面に変なものが落ちていて足に刺さったら大変だからね…

そう考えると、何をしようにもお金がどんどんとかかってくるのである。
となれば、どれだけ時給が低くても、どこかで働きながらお金を稼いでいる方がよっぽど時間を有意義に使っているように思えてくるのである。

でも、私達にはその道さえも閉ざされている。
誰にも触れることも接触することもできないなかで、私達は粛々と毎日を過ごしていかなければならないのだ。

そう考えると、学生というのは不思議な立場だ。

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ただただ勉強したり研究しているだけで、社会になんら価値を生まずとも堂々と生きていけるのは、ある意味学生の特権であろう。

でも、果たして学生はなんのためにその特権を享受しているのだろう。
学生が行う勉強は、将来の社会のための投資であり、その何十倍も社会に貢献してほしい。そんな期待が社会からかけられているのはわかる。

じゃあ、私達が永久に社会に出てこなければ、私達がしていた勉強はすべて無意味になるのか??
究極な話、私だっていつ死ぬかわからないわけで、明日大学の構内を歩いていたら突然危険運転をしていた車にはねられてこの世を去ってしまうかもしれない。そうなってしまったら、私が今までしていた勉強の価値はなくなってしまうのか…?

おそらく、これはある意味正しいのだと思う。
学生に勉強をさせることが投資なのであれば、その投資のすべてがリターンとして返ってくるとは到底思えないからだ。
株式投資だって、百発百中の人がごまんといるわけではなく、大きかれ小さかれ、誰しもが負けを経験している。どこかで損は出ているのだ。でも、それを含んだとしても、全体で得をすればそれでいい。それが投資の考え方である。
そう考えると、自分が勉強できずに社会の損失になってしまうということそのもの自体は、大きな問題ではないと言えるのかもしれない

でも、実際のところはどうだろう。

社会全体はそれでも回っていくとしても、自分自身がその損失であると思いながら生きていくとなると、やはり相当しんどいのではないかと思うのである。幸いなことに、まだ私はなんとか踏みとどまりながら勉強を続けていると自分で思っているが、いつ崖の奥底に転がり落ちていくのかはわからない。そう思いながら毎日を生きるように昨今はなってきた。

だからこそ、自分が自分の身勝手で出してしまうような損失は最小限に。だって、自分がどこまでのリターンを社会にもたらすことができるかなんて、相当な未知数なんだから。

そう思いながら、苛まれながら、新しい朝を期待と不安が入り交じる心とともに迎えるのである。

そんな人生楽しいの??

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自分自身でもそんな疑問を抱えたことは少なくはない。
確かに、以前は「どーせだめならせめて精一杯楽しんだらいいじゃん☆」みたいに思いながら、色々と木が赴くままに過ごしてみようとしたこともなくはない。

でも、私はだめだったのだ。
どれだけその瞬間が楽しくても、結局我に返ると訪れるのは、隙間風のように冷たく訪れる空っぽな虚無感だった。そして、最終的にやってくるのは、そんな感情をそもそも抱えている自分自身への嫌悪感。
何をしてもうまく噛み合わなくなっていく。

自分にとっては、このリバウンドのほうが、日常よりも何よりも耐え難かったのである。

だからこそ、私は最後にはこのような生き方を諦めた。
この冷たい虚無感を世界で一番嫌うようになった。
日々を淡々とこなしながら、ふとその垣間に現れるような小さな喜びを感じられるような意識でいたほうが、よほど精神的にも安定するし、生きていくのが気楽だった。人生というコマを、とりあえず前に進められている気がしたのだ。

そんな中で私が出会ったのが、飛行機と旅だったのである。
はじめは単に、学会やら出張やらで全国各地を飛び回るだけの日々だったのだが、ふとした瞬間、それがスッと変わっていった。

日常から離れ、空というふとした違う視点から自分の人生を見つめてみる。
いろいろな人たちが長年積み上げてきた経験や叡智に触れる。
そこで得た気づきを、また自分の日常に活かす。

いつの間にかネガティブだった日常のモチベーションが、旅と飛行機のおかげでポジティブな側面を見せるようになってきたのである。

そのような意味では、飛行機も旅も、私の人生においては救世主のような存在だった。

けれど、今、それが、儚くも取り上げられてしまったわけである。
そして、残念ながら、実習として患者さんに触れる立場である以上、それが再開できる目処はたっていない。

果たして私は次に、どこに向かうのだろう?

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旅も飛行機も人生になかった時代の私にまた逆戻りしてしまうのだろうか。
それはそれで、否定は決してできない。むしろ、かなり有力な候補であろう。

幸いなことに、今はこのように、自分の思いや経験を文字化しながら飛行機や旅が合った時代を思い出すことで、かろうじて耐えているようにも思われる。

しかし、私が今立脚しているのは、私が築き上げた過去の記憶という、現在の現実にはそぐわない虚構に過ぎないわけである。そのような意味では、いつその虚構が崩壊し、以前の状態に逆戻り、いやもしかしたら更に大変な状況に陥ってしまうかもしれない、とふとその事実を思い出すたびにビクビクしている。

コロナの影響からか、2020年はかなりうつ病と診断される方が増えているようだ。それは、私のように人生の楽しみが剥奪されてしまった人もいれば、自分自身と嫌でも対面せざるを得ないような孤独な時間が増え、色々と思い詰めるような節があった人もいるのではないかと思う。

大切なのは、自分がそのなかで何を心の拠り所として明日を目指すか。そして、それをモチベーションとして維持し続けられるかどうかであると言えよう。もしも今までのモチベーションでは厳しければ、新しい人生にモチベーションを探すというのも一案だろう。ただ、大抵の場合はそんなモチベーションを探す気力すらないからこそこのようなつらい状況に流れてしまうのだが…

コロナのおかげで、社会が急ピッチで変動した。
もう、今後何が起こるかなんて誰にも知ったこっちゃない。

最後まで信用できる唯一の人間は自分自身だし、最後まで自分のことを信じてくれる唯一の人間も、また自分自身なのである。

そんな中で、自分は何ができるのか。自分は何をもって自分の存在を証しするのか。それをまた考えていくことが、今後の頃な時代に大切になるのである。

そして、これは紛れもなく、他ならぬ自分自身への戒めの言葉なのである。

医学部って、苦しいけど楽しい!

以上、マイルで旅する医学生「ちっぷ」(@aiueo_tips)がお送りしました!

まだまだ未熟だけど頑張るよ!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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